金武シオン教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 山倉 淳湖 |


教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 沖縄県国頭郡金武町金武224-5番地 |
| 伝道開始 | 1968年8月 |
| 献堂履歴 | 1972年10月 1984年9月 |
| 歴代担任教師 | 佐々木 正明 (1968年3月~1973年2月) 大村 勝治 (1973年2月~1974年2月) 大村 礼子 (1973年2月~1974年2月) 長澤 忠雄 (1974年2月~1975年2月) 長澤 愛子 (1974年2月~1975年2月) 杉浦 友信 (1975年3月~1991年3月) 杉浦 晴美 (1975年10月~1991年3月) 山倉 勝広 (1991年3月~2025年3月) 山倉 牧子 (1992年2月~1994年2月) 山倉 淳湖 (2007年5月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
沖縄本土復帰前1968年、佐々木正明宣教師により伝道が開始された。しかしこの働きははるか以前に見えない所で始められていた。1945年熾烈をきわめた沖縄戦が日本軍の壊滅によって終わりを告げた時、数知れないほどのアメリカ兵が金武に上陸した。金武の住民の多くは、住む家を失い、日秀洞に隠れ潜んでいた。そのあまりにも悲惨な姿に心を痛め、神様に祈った一人のアメリカ兵がいた。「神様、この人たちのために私を用いてください。そしてこの土地に教会を建ててください。」彼は再び沖縄の土を踏むことはなかったが、神様はその弟の宣教師、フレドロフ・サンデノ宣教師を沖縄に送ってくださった。兄の遺志を受け継いだサンデノ宣教師が、東京から佐々木師(北海道出身)を呼び寄せ、その働きを任せた。
1970年、アメリカ兵の親戚のひとりが遺言を残して天に召された。「葬式は質素にし、花代はすべて金武の開拓のために。」そして、現在の旧会堂(十字架の塔のある建物)が建てられた。教会員はまだ少なく、子供と若者が中心で、自分たちに出来ることはアルミサッシのドア一組を買う事だけだった。宣教師は帰国しており、会堂完成を見ていない。佐々木宣教師に続き、1973年から大村勝治牧師1974年から平山敏文牧師、1975年から杉浦友信牧師が歴任、1984年に新会堂建設、1991年から現在まで山倉勝広牧師が就任している。妻、牧子師は心臓病で、娘一人を残して、31歳で天に召された。2000年淳湖師と結婚、娘二人が生まれ、山倉家は5人家族となる。特色の強い地域性の中で、教会は試行錯誤してきた。杉浦牧師時代に設立された「めぐみ保育園」は1977年~2008年の31年間、保育施設が乏しい中、地域の人々から有難がられ、子供への伝道に邁進してきたが、人口の少ない町に公立保育園幼稚園の隣立など、時代の流れとニーズの変化により閉園。しかし、この町の伝道戦略はやはり子供伝道であることを現在の牧師夫妻も感じ、教会学校に力を入れる一方、2020年コロナ禍の真只中、隣家で学研教室(学習塾)がなされていたのを引き継ぎ、新入会者を合わせて30名からのスタートで学研教室がはじまった。保育園跡を改築するための資金も乏しく、祈る毎日であったが、クリスチャンの大工さんやY.W.A.M.からのペンキ塗りボランティア、沖縄教区青年部主催「便利屋プロジェクト」など、主は収穫の働き人を送ってくださり、子供の働きを推し進めるための場所が整った。私たちは学習塾だけでなく、福音を伝えたい。このことがシオンキッズ(CS)、親子礼拝に繋がるようにと祈りながら踏み出し、現在数人の子供たちが信仰告白へと導かれ始めている。
地図と写真
MAP & PHOTOS





