J-19 牛深キリスト教会

牛深キリスト教会

教会の教師

CHURCH STAFF

主管者  中山 雄

教会の概要

CHURCH PROFILE

所在地熊本県天草市牛深町1546-3
伝道開始1952年9月
献堂履歴1953年10月
1958年3月
1983年11月
歴代担任教師野副 陽二 (1956年5月~1957年4月)
小崎 信昭 (1957年3月~1958年3月)
江崎 武 (1958年3月~1961年2月)
江崎 吉子 (1958年10月~1961年2月)
宍戸 晃 (1961年2月~1962年3月/1987年3月~1989年3月)
宍戸 博子 (1961年3月~1962年3月/1987年3月~1989年3月)
大庭 博茂 (1962年3月~1967年2月)
高口 民子[旧姓:鈴木] (1966年3月~1969年10月)
荒井 孝喜 (1967年8月~1972年2月)
荒井 小路 (1969年3月~1972年2月)
山下 義美 (1972年9月~1984年4月)
平野 尅彦 (1984年4月~1987年3月)
本堀 秀一 (1994年3月~1996年3月)
本堀 多嘉子 (1995年3月~1996年3月)
浜崎 峰子 (1996年3月~2001年3月
伊藤 光枝 (2002年3月~2014年9月)
和田 尚子 (2015年4月~2018年3月)
備考                                               

教会の沿革

CHURCH HISTORY

 アメリカの宣教団体ソウル・クリニックより、アーサー・グレエル師が1952年9月25日に来日し、福音宣教が開始された。当時は九州女学院高校の時に救われた宇良田亮子姉(後の野副亮子師)が高校卒業後、帰郷して日曜学校を開いており、「イエス・キリストのメッセンジャーを送ってください」と祈り続けていた。その祈りが応えられ、アーサー師と出会った彼女は、父に勘当されながらも福音宣教に協力した。

 最初の1年間は借家で日曜学校や英会話教室が行われたが、翌年の1953年に現在地に土地を購入し、会堂建築が始められた。この最初の会堂は田の中に杭を打ってその頭に板を張り、その上にテントを張っただけの質素なものであった。こうして設立された「牛深聖書教会」で若い魂が次々と救われ、数度にわたり銭湯で若者達の洗礼式が行われる。また、1954年に小崎信昭兄が献身者第一号として中央聖書神学校に入学した。

 1955年に宗教法人教会として認証され、1956年には野副陽二師の就任を機に日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に加入した。また、アーサー師は地域社会への伝道の一環として無認可で無料の委託保育を開始し、1955年に県から認可が降りて「アーサー・グレエル個人立愛隣幼稚園」が設立された。

 教会や幼稚園に多くの人が集まり手狭になったため、アーサー師はブロック製造機をアメリカから取り寄せ、4年の歳月をかけて1959年に手作りの会堂兼幼稚園舎を完成させ、同年の2月に献堂式が行われた。

 1970年に「牛深キリスト教会」に改名し、1983年11月には新築の会堂が献堂され、現在に至る。53歳で来日し、牛深をはじめ本渡、河浦、八代、三角、川尻、希望ケ丘、蒲江へと働きを拡げ、いくつもの教会開拓に携われたアーサー師は、1984年に高齢のためにアメリカに帰国され、1990年に召天された。しかし、アーサー師によって始められた教会と幼稚園の働きは今日まで引き継がれている。

 歴代教師は、小崎信昭師、野副陽二師、江崎武師、大庭博茂師、鈴木民子師(高口師夫人)、荒井孝喜師、宍戸晃師、山下義美師、平野尅彦師と続き、無牧となる。その間は本渡基督教会の宍戸晃師、河浦基督教会の江崎吉子師が兼牧された。その後、本堀秀一師、浜崎峰子師と続き、本渡基督教会の大村勝治師が1年間兼牧される。2002年より伊藤光枝師、和田尚子師と続いた後、2018年4月より無牧となり現在に至る。なお主管者としては長澤忠雄師が3度にわたり16年間務められた後、2021年4月より長澤牧人師、2024年4月より中山雄師が主管者として就任し、現在に至っている。

地図と写真

MAP & PHOTOS