北九州シオン教会
教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 福岡県北九州市門司区大里原町6-10 |
| 伝道開始 | 1950年4月1日 |
| 献堂履歴 | 1954年4月3日 1990年11月18日 |
| 歴代担任教師 | 力丸 博 (1953年6月~1979年3月) 力丸 千歳 (1953年6月~1979年9月) 力丸 嗣夫 (1965年3月~1965年12月/1969年3月~2019年3月) 力丸 勝子 (1967年5月~2019年3月) 山﨑 銀次郎 (2018年11月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
ナザレン教団在任中下関で開拓。間もなく、国の法律で軍の指導に従わなかった為、教会は閉鎖され、昭和18年~20年敗戦まで軍の監視のもと家族だけの礼拝で切り抜ける。その間に戦災で家を焼かれ家族7名、転々流浪の数年を山陰→北陸→東北福島と移動、戦後の昭和21年1月門司に流れ着く。
教会閉鎖後、生活のためやむなく仕事に就いた国統括の船舶運営会の解散と共に、出光社長から再建参加への強い要請をお断りし、専心伝道に再献身する(昭和25年=1950年)。
開拓出発は家族8人で、明治の初期に建てられた海外からの貿易船の賓客をもてなす大きな料亭跡を戦後の引き上げ者住宅として市が買い取った建物の演芸場の大広間(36疂)の内の16疂を天井まで1.5mを残した間仕切りで、その残りはにわか造りの、外科医院の入院小部屋、術後の患者さんのうめき声が聞こえる事も集会・生活音は最低限に押さえての生活でした。
そこが開拓伝道の最初の集会所でした。16疂の一部屋が8人家族の寝室・食卓の部屋・牧師の黙想と書斎・子供たちの勉強部屋・日曜の礼拝と木曜の夜の祈祷会は声を最小限に押さえての集い、最初の信徒たちが次々と生まれ育ったのです。
間もなく、牧師が東京の池袋のホームで、ホーリネス時代の関西の決死隊聖書学校(一宮誠吉師)の同期生、AG教団創立者の一人・川崎一師との出合いで、1953年5月AG教団に加わったのです。翌年1954年、アッセンブリー教団九州最初の教会をと、米国から献げられた献げ物で現在地に最初の会堂が与えられる。
五市合併に伴い、教会名を現在の《北九州シオン教会》と改名。その後、下関・小倉(20年後に閉鎖合併)・海老津と、株分け開拓で、教会を産み出す。
地図と写真
MAP & PHOTOS







