広島キリスト教会
通称:三滝グリーンチャペル
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 堀川 寛 |
| 堀川 晴美 | |
| 伝道師 | 郡 美矢 |
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教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 広島県広島市西区三滝本町2-10-24 |
| 伝道開始 | 1957年4月3日 |
| 献堂履歴 | 1965年11月 1993年9月 |
| 歴代担任教師 | 北野 耕一 (1956年3月~1958年10月) 堀川 満也 (1959年10月~1969年8月) 堀川 英子 (1959年10月~1995年9月) 清水 裕子 (1969年10月~1971年2月) 小坂 恵子 (1973年3月~1974年3月) 堀川 寛 (1984年4月~1987年5月/1990年6月~ ) 郡 美矢 (2015年4月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1957年4月、北野耕一師により広島市打越町において開拓伝道が始まった。翌々年の1959年10月、北野師の辞任により、堀川満也・英子師夫妻が着任し、会堂を三篠町の借家に移して伝道が継続された。6畳二間の借家は後にこの教会を支える若者たちで溢れ、毎月のように洗礼式が行われた。
1964年、不思議な恵みによりアメリカの教会より献金が与えられ、現在地である三滝本町に境内地を購入し、翌65年の11月、最初の会堂が献堂された。しかし、4年後の69年、満也師は膵臓癌により召天。若者中心の教会にとってはとても大きな試練であり、英子師は3人の幼子を抱えて牧会伝道を突然担わされることになった。
主はこの教会と堀川家を守って下さり、1984年には長男寛師(現主任牧師)が中央聖書学校を卒業して派遣された。寛師は87年から3年間留学したが、その間、89年に、東区温品(ぬくしな)で行っていた家庭集会を「広島神愛キリスト教会」として独立させ、中原茂生・淳子師夫妻によって広島市の東地区における伝道が本格化されることとなった。
寛師が留学から帰った翌年の1991年に、現地での新会堂建築計画が始まった。最終的には当初予算の約2倍に当たる約2億円での建築となったが、主の憐れみにより予定より3年早い2010年に負債を完済した。そればかりか、カルビー製菓の社長の私邸であった隣家を2006年に購入することになり、こちらの負債も2015年に完済し、今も様々な活動に用いられている。
90年代に広島県西部の廿日市で行われていた家庭集会において多くの方々が救われた。その多くが転勤族であったために、ほとんどは広島を離れたが、西部地区における宣教の拠点を求める祈りは続けられたいた。2018年の教会総会において廿日市に伝道所を開設するプロジェクトが可決されると、次々に門が開かれ、2020年6月、コロナ禍真っ最中ではあったが、念願の伝道所である「宮島プレイズチャペル」が献堂された。
2023年5月、当教会の母であった堀川英子師が92年の地上の生涯を終えて天に凱旋した。英子師のスピリットは教会員たちに受け継がれ、「受けるよりは与える方が幸いである」という御言葉を教会聖句に掲げて、これからも広島の福音宣教のために前進し続ける所存である。
地図と写真
MAP & PHOTOS
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