G-17 和泉神愛キリスト教会

和泉神愛キリスト教会

教会の教師

CHURCH STAFF

牧 師  平松 慶次
伝道師  平松 百合子
平松 慶次
平松 百合子

教会の概要

CHURCH PROFILE

所在地大阪府和泉市伯太街6-11-18
伝道開始1949年
献堂履歴1967年11月 5日
1994年 4月10日
歴代担任教師平松 瑠美子(1960年4月~1970年3月)
平松 道子 (1962年4月~1970年3月)
小泉 智行 (1970年4月~1978年3月)
平松 慶次 (1978年4月~ )
平松 百合子(1978年11月~ )
備考                                               

教会の沿革

CHURCH HISTORY

 1947年秋から、他教派の宣教師による教会学校が、村の空き地で開かれ、子どもたちが集まるようになった。その教会学校に、平松瑠美子師とその弟妹が導かれた。その後、松本一夫兄実妹で、伝道者夫人松村しま子氏宅で家庭集会が行われるようになり、隣家にあった現平松師家族も導かれた。

 翌年1948年に松村しま子氏が、病気の為に召され、集会を続けることが困難になったが、当時まだ救われていなかった平松道信、ヨシ夫婦の好意により、隣家の平松宅が提供されて家庭集会が続けられた。その後、平松家の家族は、子どもたちから始まり、全員が救われた。

 松本一夫兄は、1937年にいち早く、異言の伴うペンテコステの恵みに与った。戦後聖霊の再充満に与り、家庭集会に集まっていた者と共に、聖霊の恵みを祈り求めた。その中で受霊する者が大人、子どもを問わず、次々と起こされた。その時の祈りの課題は「献身者が起こされること、村に教会が建つこと」であった。

 しかし、当時の家庭集会は、長老派の宣教師による集会であったため、松本兄をはじめ、聖霊の恵みに与った者たちは、袂を分かつことになった。そして、山路寿子師を迎えるとともに、川崎一師が牧会する粉浜教会(現大阪中央福音教会)に導かれるようになった。

 1949年には、名称が「粉浜教会・八坂伝道所」として同教会の所属となった。そして、故川崎一をはじめ、西海、長沢、江崎(吉)各師、粉浜教会の役員の協力を得て宣教活動がなされた。

 この伝道所時代の12年間(1960年まで)、信徒は毎週日曜日の礼拝を、大阪市内の粉浜教会に通い続けた。

 1960年に、すでに献身していた平松瑠美子師が「家の教会」に派遣され、教団直属の教会として独立し「和泉神愛キリスト教会」と改称した。当時まだ会堂は無く、引き続き平松師宅で集会等が行われていた。1962年には、平松道子師が派遣された。

 1963年に、土地を購入することができた。しかしいざ会堂建築になった時、途中で設計業者が不在となり、建築工事が中断してしまった。建築許可が下りないなどの、多くの困難に直面したが、牧師、信徒の厚い祈りに、主が応えて下さり、神の奇跡的な御業によって、近隣の設計者与えられた。ついに1967年11月5日に1回目の会堂を献堂した。

 当時の牧師は、平松瑠美子師、平松道子師で、その後、1970年に小泉智行師が着任した。その間、平松慶次師が献身し、1978年から、平松慶次師が着任して現在に至っている。

 1993年3月、大阪府の道路工事計画に伴い、会堂講壇部分に当たる土地の一部売却を余儀なくされた。会堂全体の老朽化も目立ち、これを機に新会堂建築に向けて前進することになった。素晴らしい神の導きにより、教会の隣接地が与えられ、ほぼ倍の広さの土地が与えられた。

 1994年4月10日、2回目の新会堂献堂を迎え、現在に至っている。

 1993年から、12名の献身者を送り出し、全国各地で、奉仕している。

 かつて家庭集会時代に祈りの課題であった「献身者が起こされる事、村に教会が建つ事」であったが、先駆者たちの祈りに、神が応えてくださった。

 2024年、2回目の献堂から30周年を迎えるにあたって、屋根、外壁等の全面改修工事を行った。



地図と写真

MAP & PHOTOS