紋別神召基督教会
通称:紋別神召キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 日吉 成人 |
| 伝道師 | 日吉 洋子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 北海道紋別市本町7-4-4 |
| 伝道開始 | 1956年8⽉ |
| 献堂履歴 | 1960年9月23日 1968年2月17日 |
| 歴代担任教師 | 山城 晴夫 (1956年3月~1958年3月) 山城 圭子 (1956年3月~1958年3月) 大野 弘頼 (1959年4月~1960年3月) 津村 昭二郎 (1960年3月~1962年3月) 津村 かほる (1960年3月~1962年3月) 宍戸 晃 (1962年3月~1971年3月) 宍戸 博子 (1962年3月~1971年3月) 伊藤 正躬 (1971年3月~1983年3月) 伊藤 志真子 (1971年3月~1983年3月) 本田 勝宏 (1983年3月~1985年3月) 本田 敬子 (1984年4月~1985年3月) 女池 ヨシ子 (1985年3月~2009年5月) 立木 秀和 (2011年3月~2014年3月) 立木 信恵 (2012年5月~2014年3月) 日吉 成人 (2016年4月~ ) 日吉 洋子 (2016年4月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
西興部時代
アッセンブリーの西高井戸教会(東京、後に吉祥寺福音教会と合併)の信徒が、1954年2月に西興部厚生診療所に赴任し、診療のかたわら集会を始め、同教会の伝道所として出発した。1年足らずで受洗者28名、受霊者13名、集会出席者30名、日曜学校生徒100名を超える。
北洋基督教会から紋別神召基督教会へ
1956年3月1日に山城晴夫・圭子師ご夫妻が着任し、同年8月、ハイムス宣教師の協力、援助によって紋別で天幕伝道会を開催したのをきっかけに、翌9月、本町7丁目に拠点を移して北洋基督教会を設立した。1959年9月には紋別神召基督教会に名称を変更し、宍戸晃・博子師ご夫妻が在任時の1968年2月17日に新会堂を建て、献堂式を行った。
多くの伝道者が従事
山城師夫妻が転任された後、R&Jハイムス宣教師ご夫妻が1年間伝道牧会に従事された。その後、浜津作己智師、大野弘頼師、津村昭二郎・かほる師夫妻、宍戸晃・博子師夫妻、伊藤正躬・志眞子師夫妻、本田勝宏・敬子師夫妻とその働きが引き継がれた。1985年から女池ヨシ子師が単身で、最果ての地において忍耐強く忠実に伝道牧会に従事され、2009年5月に病のために引退された。
女池師の引退後、約2年間、担任教師がいない無牧の時を過ごすことになった。当時教区長の中山規夫師を主管者として、教区の牧師たちの応援、CBC神学生の長期派遣、インターン実習などを経て礼拝が守られてきた。
2011年4月より立木秀和師、2012年に結婚されて信恵師が共に伝道牧会に従事された。その後2014年に再び無牧となり、主管者であった藤田裕克師が鷹栖キリスト伝道所と兼牧するように、月1度の紋別での礼拝奉仕、その他は鷹栖とオンラインで結んで礼拝を守り続けた。
キリストの体として
2016年4月より、北見神愛キリスト教会の日吉成人師・洋子師が北見との兼牧という形で任地辞令(主管者・担任教師)を受け、現在に至っている。同じオホーツク地域とは言え、紋別と北見は雪のない時でも車で1時間45分ほどの距離があり、教会の伝統や集われている年齢層も異なっている。しかしペンテコステの群れとして御霊による一致が与えられ、お互いの教会・兄姉のために祈り合い、喜びも痛みも共にし、キリストの体としての豊かさを味わい続けている。
日本AG最北の地で
紋別神召キリスト教会は、多くの伝道者が従事してきた教会であるのと同時に、今までに教団外への献身者や北海道内外に多くの信徒を送り出してきた教会でもある。この街にキリストの教会があるという意味の大きさを噛み締めつつ、歴代の伝道者に仕えられた姉妹を中心として、そこに客員の方々が加わるという形で、日本AG最北の地で礼拝を持ち続けてきている。とりわけ、主日礼拝後に信徒が自主的に始めた祈祷会を通して、天の窓が開かれるように地元からも求道者が礼拝に集われるようになった。また紋別の地で働く外国人や実習生、またUターンで変えられた夫婦も集い続けている。


