新大阪第一アッセンブリー教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧師 | 西海 祥子 |


教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 大阪府大阪市淀川区西三国2-14-14 |
| 伝道開始 | 1959年 |
| 献堂履歴 | 1961年 1976年 2月8日 2025年 6月(予定) |
| 歴代担任教師 | 西海榮悦 (1960年4月~2021年7月) 西海祥子 |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1959年、石橋教会の三国に住む4名の中学生と一人の老人小野兄の為に大阪市淀川区西三国に「三国福音キリスト教会」として伝道所開始。臨時に2名の牧師が担当するが、1961年本格的に、教会活動開始のために、西海榮悦牧師祥子牧師が派遣される。借地借家であった建物(長屋の並ぶ町の中にある2階建ての古い民家)は、派遣の機会に米国アッセンブリー教会の日曜学校からの献金で購入された。当時から三国小学校は全校生徒900人。ほとんどの家庭は銭湯通いをする、人口密度の高い下町。カトリック教会が一つ。牧師の子どもは、その小学校で初めてのクリスチャン生徒。
まず午前中は、町中(当時新大阪駅はまだなく蓮池畑と路地が沢山ある町)を祈りつつ自転車で走った。そして西海榮悦牧師は商店街にある銀行で閉店後、玄関階段において大太鼓で賛美、説教を毎日続ける。西海祥子師は、町の人々の必要を知り、働く家庭の0歳から3歳までの乳幼児を預かり育てる大阪市認可ベビーセンター(現認可保育園)を開始。大阪市認定ベビーセンターの第1号園である。また公園空き地での天幕伝道集会、オルガンを10台おいてヤマハ音楽教室。日本家屋の教会は何度も牧師自ら改築して、和室を広げて礼拝堂にする。玄関を教会の入り口のように改築した。
四国教区から高校卒業後就職進学で来阪したCAの青年たちは、ほとんど毎日西海牧師と教会宣教活動をし、あちこちの公園での日曜学校は500人ほどの子どもたちが集まり、毎年大運動会を行った。当時のCA会員は全員献身して中央聖書学校に送り、牧師となっている。教会では、ダビデの小石献金をもってサポートした。
関西聖会、全国聖会の講師であった、弓山喜代馬師、ポールショック師、崔子実師、趙鏞基師らを迎えての聖会を通して、御霊による祈りの力を教えられ、断食祈祷、徹夜祈祷、連鎖祈祷を始めた。そして、新しい教会堂となお拡大宣教の為の祈りは高まった。しかし、下町密集地域における徹夜祈祷会は厳しく、主イエス様がなされたように祈りの山を主に求めた時、翌週主の奇跡で兵庫県佐用郡三日月町の山地に導かれる。しばらくはキャンプテントに泊まりながら祈る。祈りに答えられ新教会堂建築へ進んだ。当時の信徒、学生、主婦も含めて、新会堂建築の為信仰で献金した。長老たちの積極的な銀行への働きかけにより、新会堂は建った。1976年。この機会に町に新大阪駅ができたので「新大阪第一アッセンブリー教会」と改名、教会墓地も建築した。相変わらずの下町の路地の奥に、白い立派な礼拝堂は、町の人々に愛され、教会の前に立ち止まって祈る人々を毎日見かける。当初からの商店街での伝道と保育園伝道により、町中の人が教会を愛している。
1997年地下鉄御堂筋線東三国駅の東側に、開拓教会。小さい礼拝堂と福音レストラン「二匹の魚と五つのパン」を賃貸して、特にターゲットは職業男性。多くの男性が入信した。阪神大震災で閉店。
2021年 西海榮悦牧師は召天する。後を西海祥子師が主管牧師として任命された。西海牧師に続いて8名の長老をも天に送った。そこに、大阪市区画整理による教会移転が決まる。社会事情により補償金が十分に出なくなり、今日まで続くホザナ保育園は閉じる。しかしながら、新しいビジョンは、路地がなくなり、広い道路の交差点に移転する隣は中学校全校生徒800人。この中学生と60年の保育園の卒園生をターゲットとした教会とする。2025年春に献堂予定。
常に、御霊により祈り、伝道する教会。すべての人の祈りの家。




