アッセンブリー伏見キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 東 裕雅 |
| 牧 師 | 東 陽子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 京都府京都市伏見区京橋町308番地 |
| 伝道開始 | 1996年 |
| 献堂履歴 | 1998年9月13日 |
| 歴代担任教師 | 東 裕雅(1997年7月~ ) 東 陽子(2005年3月1日~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
私たちの教会は1998年9月13日に、元教団理事長菊山和夫師の司式のもと献堂開所式を行い、公に開拓伝道所としてスタートしました。
1996年に教団から、担当教師として東裕雅伝道師が任命され、それまでの経緯に基づいて、開拓地の選定、購入、会堂建築などをすすめました。
京都開拓委員として、委員長は当時関西教区長の松崎実也師、そして小泉智行師、市川俊一師、伊藤正躬師、村上密師が担当してくださいました。
この委員会は、御影教会の杉本俊輔師が教団の担当理事として、岩倉教会の裁判を通して取り戻したものを元手とし、京都市内に代替教会を建てるということを引き継いでの開拓委員会でした。
会堂が建ったことで開拓委員会は縮小され、委員長を村上師、委員を伊藤師、担当教師を東師として再編されました。当初開拓資金として一億円が計上されていましたが、建築資金に大半が使われ、献堂式が行われた時点では、百万円ほどしか残ってなく、ブライダルのアルバイトをしながらの開拓となりました。
教会の建っているのは京都の南にある伏見の地で、もともと良質で豊富な水源をいかして酒造りの町として栄えてきた場所です。坂本竜馬など幕末の遺物もある観光名所でもあります。
それもあり、仏教、神道、諸々の民間宗教の強い場所であり、特に代表される御香宮神社と三栖神社の力が強く、その影響力が町の組織や行事に深く入り込み、人間性や霊性に大きな負担のかかる場所です。
町内会は必ずこのふたつの神社のどちらかの氏子となり、町内会ごとに地蔵を祭る慣習があります。
ところが教会の属する町内会は、内部で起きた問題により分裂したことで、どちらの氏子にも属しておらず、宗教的に空白地帯となっていたのです。
町内会にひとつずつ地蔵を持ち、その地蔵を中心として継承してきた行事が特徴の町の中で、どこの氏子にも属さず、地蔵も撤去されている町内会は他に例がなく、後からそのことに気が付きました。
建築当初からの隣家との摩擦や様々な問題の中にも、確かな神様の導きがあることを確信し、とても慰められ、教区会でも機会を頂きましたのでお証させて頂きました。
その後、どこの教会でも受けるであろう無理解と偏見の中、主の祝福のうちにゆっくりではありますが、少しずつ成長することができました。
また、信徒さんが残してくださった資産をその身内の方が捧げてくださるという奇蹟を通して、山科区に枝伝道所(アッセンブリーみゆき教会)を持つことができ、伝道の幅を大いに広げてくれています。
コロナ禍で教会を閉め、動画配信をしたことも新しい試みではありましたが、今も続けており、ネットを通しての伝道、教会成長の重要性を強く感じさせて頂いています。
また、教区の先生のご協力によりホームページを改良したことで、あらたな伝道・宣教方法として活用させて頂いています。
教会は開拓教会らしく、私たち夫婦二人と信徒さんが、一人、二人という感じでスタートしました。少しずつ信徒さんも増えて行きました。信仰的にも大変立派なところまで成長しておられる方々もいらっしゃり、励ましと慰めを受けることができます。
京都に教会があるということもあり、和風の教会を目指しています。





