天塚キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 高木 謙次 |
| 高木 結実 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 愛知県名古屋市西区天塚町3-7 |
| 伝道開始 | 1928年 |
| 献堂履歴 | 1980年2月10日 |
| 歴代担任教師 | ジョン・ジュルゲンセン エスター・ジュルゲンセン(1928年~1929年) ジョン・ジュルゲンセン ネティ・ジュルゲンセン(1929年~1938年) 丸山 栄・琴師(1936年~1944年) ネティ・ジュルゲンセン(1951年~1963年) 石原 嘉宣(1953年~1967年) 山田 亘(1967年~1973年) 松崎 実也(1973年4月~1988年) 相原 健二(1986年2月~2015年9月) 相原 克子(1987年4月~2019年3月) 平松 恵子[旧姓:相原](2010年3月 〜2012年6月) 髙木 謙次(2019年4月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
カール・ジュルゲンセン師の息子であり、初代総理弓山喜代馬師を導いた米国アッセンブリー教団宣教師のジョン・ジュルゲンセン師とその家族は東京で働きを進めていたが、一時帰国しミッションプランを再考。当時東京と大阪にペンテコステの教会があったが、名古屋にはなかったため、1928年から名古屋に入り名古屋聖書教会として、開拓開始。しかし、妻のエスター・ジュルゲンセンは約半年後1928年12月6日神経衰弱のため29歳で召され、ペンテコステ派の宣教師で最初の殉教者となった。その後、ジョン師は1928年9月25日にネティ・グライムス宣教師と再婚。しかし、1933年第三子のグラディス・ジュルゲンセンが生後5か月、12月25日クリスマスの日に召され。1934年第二子のバーニス・ジュルゲンセンが1934年4月2日召されている。ジョン師は10年働きを続け、1938年11月11日45歳で天に召されている。
そのような中においても、ジョン師の聖書塾を通して、信仰がリバイブした韓国人の朴聖山(パク・ソンサン)師は1931年3月5日に朝鮮人名古屋聖書教会を設立してその教会の牧師となり、また同教会に導かれ聖書塾に参加していた裵富根(ベー・ブグン)も日曜学校の牧師となる。二人は後に、韓国に渡り、韓国アッセンブリー教団の前身である朝鮮五旬節教団の礎を築いた五人のメンバーに入っている。
ジョン師の死後、丸山栄師が教会を引き継ぐが、1945年に戦死。戦後1950年5月にジョン師の後妻であるネティ・ジュルゲンセン宣教師が再来日し、海外からの献金の助けを得て、既存の在日韓国人教会の建物を購入し再出発した。
開拓期にはネティ師と共に土井、金井、園部各師が奉仕した後、1953年~1967年まで石原嘉宣師が着任し、教会の土台を築いた。この間、山田亘師、渋沢清子師、長屋勇師、小島綾子師が献身。1967年~1973年まで山田亘師が着任し、平野順子師が献身。1973年~1988年まで松崎実也師夫妻が着任し、佐野敏和師、松崎(現姓:吉沢)律子師が献身。
1980年に老朽化のため現会堂を献堂。1988年に相原健二師夫婦が着任し、島津美恵子師(現姓:勝)、岩田明美師、相原恵子師(現姓:平松)が献身。2007年に隣の土地30坪を購入。2015年~相原克子師主管者就任。2019年4月から平松厳師、2024年からは髙木謙次師が主管者として就任し、現在に至っている。
宣教開始からまもなく100年の教会となるが、「天塚から世界へ」のビジョンを掲げ、100人礼拝、宣教師・牧師を遣わす教会、信徒が活躍する地域に根差した教会を目指し邁進している。こどもの居場所「みらくる」、中高生の居場所「Next」、「教会中高生食堂」を行い地域に仕えている。
地図と写真
MAP & PHOTOS

