新中野キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 藤井 敬朗 |
| 牧 師 | 藤井 佳子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 東京都中野区本町6-37-7 |
| 伝道開始 | 1953年 |
| 献堂履歴 | 1953年 1979年1月 |
| 歴代担任教師 | 内村 緩順 (1953年〜1954年) 杉本 俊輔 (1954年〜1957年) 山田 亘 (1956年) 村上 知子 (1957年〜2003年) 菊地 美代子 (1957年) 中原 淳子 (1966年) 上原 時江 (1966年) 佐藤 信子 (1966年〜1976年) 岩瀬 ハツ枝 (1976年~1978年) 小田島 和子 (1979年~1980年) 安東 聖樹 (2001年3月〜2002年) 安東 知子 (2001年3月〜2002年) 藤井 敬朗 (2003年4月〜 ) 藤井 佳子 (2003年4月〜 ) 岡山 志伸 (2010年4月〜2015年5月) 八木原 海 (2023年4月〜2024年9月) 八木原 知宏 (2023年4月〜2024年9月) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1951年、第二次世界大戦の爪痕も生々しい新宿駅西口に大きな天幕を張り、M・ジュルゲンセン宣教師や伝道者、神学生が福音を伝えたことが教会の発祥である。そこで救われた人々が4キロほど離れた杉並で矢崎工務店の大工小屋を集会所として礼拝を始め、初代牧師として内村緩順師を迎え、教会の基礎が据えられていった。
1952年、宣教師の尽力により現在の100坪の土地を入手し、1953年、70坪の礼拝堂を献堂して活発な伝道が本格的に始まった。
1967年、地番変更に伴い、教会名を高円寺教会から新中野キリスト教会に変更した。
1978年、老朽化した会堂を改築し、1979年1月、2階建て104坪の新会堂を献堂した。3階部分の増築を考えたが基準の変更で困難となり、1989年、駐車場に16坪の地下室を増築した。近年、築年数の経過で建物の老朽化が目立ち、次期改築が課題となっている。
主管牧師は内村師の後、1955年に杉本俊輔師、1957年に村上知子師が引き継ぎ、2003年6月から藤井敬朗師が務めている。
2002年4月、村上師に膵臓癌が見つかり、種々の治療による闘病が始まり、教会にとっては大きな試練で集中した祈りをささげた。全国諸教会などでも祈りがささげられていることを聞き、励ましと神の家族を実感した。入院中は北野耕一先生はじめ神学校の先生・神学生の方々が説教して下さり、聖日礼拝をまもることができた。
2003年4月に藤井敬朗師、佳子師が就任されてから2か月余の6月25日、村上師が天に召され、教会は大きな悲しみを経験したが、その後、藤井敬朗師、佳子師と共に伝道に励み、今日に至っている。
これまで、伝道師の方々が働きを共に進めて下さったことは感謝に堪えない。2023年4月に八木原海伝道師、知宏伝道師を迎えた。
今日までの献身者は16名、内12名が教団教職として奉仕している。
1993年、信徒を株分けして埼玉県飯能市開拓に着手し、元加治伝道所がスタートした。教会としては家を借りる予定だったが見つからなかったため、母教会として急きょ約4000万円を投じて伝道拠点としての建物を購入した。担当教職を迎えて開拓が進められ、自立して元加治キリスト教会となっている。
元加治も藤井師の住居(牧師館)も時間が無く必死に祈った結果、神様が用意していて下さったとしか言いようのない物件をそれぞれ得ることができ、教会員一同感謝すると共に献金でもお仕えした。
教会は、教職・信徒が一体となって、各自の賜物を活かして主のみからだの建設にあたるようにしてきた。このことが村上師から藤井師に引き継がれ、変化に柔軟に対応してきた。一例として新型コロナウィルスへの対応では、それまで漠然と「いつかYouTube礼拝をしたい」と話していたYouTube礼拝を急きょ開始することになり、信徒の賜物により2020年3月から始めることができ、幾度の改善を重ねて現在に至っている。教会ホームページも同様に信徒の賜物で充実を図ってきている。引き続き各自の賜物が活かされ、変化をしっかりとらえて対応していける教会を目指していきたい。
教会の願いは、神の恵により、これからも受洗者・受霊者が加えられ続けて、教会の使命を果していくことである。信徒の高齢化や子ども達・若い世代の減少、次世代への信仰継承、教会建物の老朽化など様々な課題があるが、この地に教会を建てられ、将来へのご計画をお持ちの神様に教職・信徒が一致して祈って、各自の賜物を活かしてお仕えし、主の愛に満ち溢れる教会であり続けていく。
地図と写真
MAP & PHOTOS

