J-17 本渡基督教会

本渡基督教会

教会の教師

CHURCH STAFF

牧 師  中山 雄
伝道師  中山 寛子
中山 雄
中山 寛子

教会の概要

CHURCH PROFILE

所在地熊本県天草市亀場町亀川1751-2
伝道開始1957年4月
献堂履歴1957年10月
1967年7月
歴代担任教師野副 陽二 (1957年4月~1972年2月)
野副 亮子 (1970年9月~1972年2月)
嵯峨 田鶴子 (1964年3月~1966年3月)
荒井 小路[旧姓:宇良田] (1968年3月~1969年3月/1972年2月~1981年3月)
佐野 徳子[旧姓:本多] (1970年3月~1979年2月)
荒井 孝喜 (1972年2月~1981年3月)
森田 広美[旧姓:木村] (1973年3月~1974年10月)
宍戸 晃 (1981年2月~1989年3月)
宍戸 博子 (1981年2月~1989年3月)
大村 勝治 (1989年3月~2016年3月)
大村 礼子 (1989年3月~2016年3月)
中山 雄 (2018年4月~ )
中山 寛子 (2019年2月~ )
備考                                               

教会の沿革

CHURCH HISTORY

 天草の中心都市である本渡に教会を建てようとのビジョンが与えられて、1957年4月に牛深キリスト教会で伝道・牧会しておられた野副陽二師が宣教師アーサー・グレエル師と共に本渡に来られ、開拓伝道を開始された。桶屋の2階を借りて始められた働きは、半年後に不思議な主の導きにより古川の裁縫学校であった建物を格安で買収することができて、ここで10年間伝道活動が続けられる。1958年には最初の洗礼式が行なわれ、一名が受洗したのを皮切りに徐々に教勢が伸びていった。また、この頃に孤児を育てる「子どもホーム」の働きが始められ、やがて愛隣保育園へと引き継がれていく。

 その後、新会堂建設と保育園併設のビジョンに導かれ、見通しのつかない状況の中で古川の土地の売却やコンクリートブロックの寄付、最初の受洗者の家族による建築の申し出など、主の御業により次々と準備が整えられて、1963年3月に市東部の田園地帯に愛隣保育園が完成し、キリスト教保育が開始された。また1967年7月に現在地に新会堂が建設され、献堂式が行われた。翌年の1968年4月には真木英彦師によって三角伝道所の開拓が始められ、1971年11月には天草合同納骨堂が大矢崎に完成する。

 野副陽二師と亮子師は1972年1月まで教会の働きと共に保育園活動に尽力された後、熊本市の開拓伝道に働きを移された。そのため、1972年2月に牛深より荒井孝喜と小路師が着任され、1981年3月まで力強く伝道・牧会される。その後、荒井師が希望ケ丘キリスト教会へ転任されたため、1981年4月より佐世保から宍戸晃師と博子師が着任され、教会と保育園の働きに8年間尽力された。この時期に愛隣保育園の改築と牧師館の改修が行なわれる。宍戸師の札幌開拓への転任に伴い、1989年4月より沖縄から大村勝治師と礼子師が着任し、27年間と長期間にわたって教会の働きを担われた。2016年3月に大村師が引退されたため、川尻キリスト教会の髙口喜美男師の主管のもと2年間の無牧の時期を経る。また、この間に老朽化に伴って牧師館を解体し、教会の2階を牧師館に改修する。そして、2018年4月に中央聖書神学校を卒業した中山雄師が着任され、翌年に結婚に伴い中山寛子師が着任されて現在に至る。

 当教会からは11名の献身者が出ており、アーサー・グレエル宣教師を天草に送り出した教会のように、本渡基督教会も一人でも多くの伝道者を輩出したいと願っている。また、教会の働きと共に子どもホームや愛隣保育園を通して子ども伝道のために従事されたアーサー師の意志を引き継いで、これからも地域の子どもたちにイエス様による救いと希望を伝え続ける教会でありたい。

地図と写真

MAP & PHOTOS