神居キリスト教会
通称:丘の上チャペル
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 福森 光敏 |
| 牧 師 | 福森 トシ子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 第一会堂:北海道旭川市神居4条13-2-21 第二会堂:北海道旭川市神居町共栄915(丘の上チャペル) |
| 伝道開始 | 1974年10⽉ |
| 献堂履歴 | 1975年 7月 1983年11月 2002年11月 |
| 歴代担任教師 | 福森 光敏 (1974年4月~ ) 福森 トシ子 (1975年~ ) 福森 由宣 (2016年4月~2017年3月) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
北海道教区と宣教師の協議により、北海道第2の都市である旭川にもアッセンブリーの教会を建てようということで開拓伝道がなされることとなり、福森光敏師が遣わされた。伝道の着手は借家探しから始まった。この当時、住宅難という言葉があり、アパートや借家の足りない時で、伝道に適当な借家を探すのは難しかった。やっと一軒家を借りて伝道を開始したが、半年で家主から空けてくれと言われた。住宅難の中で代わりの借家を見つけることはできなかった。そこで家主の親が、隣の空地を所有していたので、その土地を借りてプレハブ造りで急遽礼拝堂を建てることにした。内装、断熱材入れ、間仕切りは自分たちで行った。1階牧師館、33㎡、2階礼拝堂、33㎡。これが第1回目の献堂である。子ども伝道を中心に行った。この当時は子どもが多く集まった。この時期に高校生と一般の人が洗礼を受け、今、その人達は教会の礎となっている。
この借地は7年の契約で明け渡さなければならない。教会はまだ土地を購入できるだけの力はなかった。理事長の佐布師に相談したところ、土地を購入すればよいとの助言を受けて、信仰が湧いてきて土地を購入することにした。2~300メートル南に行った所に74坪、1千万円の土地を購入した。土地を購入したら、もう会堂建築までする資金は無い。しかし礼拝堂を建てなければならない。この時、旭川営林署の官舎が1棟2千円で払下げられていた。これを3棟払下げを受けて、自分たちで解体し、この古材で礼拝堂を自分たちで建てることにした。母教会の金沢教会の信徒の大工さんの指導応援を受けて会堂建築を行った。この建築は、前回の会堂建築の経験があったので、できるという自信があった。隠居している父の応援が大きかった。父はこのことを通して毎週礼拝に出席し、イエス・キリストを信じ、洗礼へと導かれた。このようにして会堂建築をしていることを聞きつけて、三浦綾子さん夫妻が献金を持って陣中見舞いに駆けつけて下さった。また、この様子をエッセイに書いて下さった。これを読んだ、全く見知らぬ方から十万円以上の献金がささげられた。大阪中央福音教会からも多くの献金がささげられたので、献堂式は鹿島先生にお願いした。会堂が出来て、青年伝道が進み、この年代の方々が洗礼受けた、子ども伝道も行い、多くの子どもたちが集まってきた。
2000年を前にして、大きなヴィジョンを持って更に前進しようと計画した。今の礼拝堂は、駐車場狭いし、大きな音をたてると苦情が来るので、郊外に出て、千坪くらいの土地を購入し、車は数十台駐車でき、礼拝堂は百人くらい入る礼拝堂を建てよう、とのヴィジョンを抱き、祈り始めた。すると神さまは、2,108坪の土地を与えて下さり、車は100台駐車することができ、礼拝堂も150名は入る礼拝堂を与えてくださった。しかも、ここは、とても景色の良いところで、神さまの造られた自然によっても癒される。礼拝堂の窓からは美瑛の丘のように牧場が見え、晴れた日は大雪山を臨むことができる。三浦光世さんが来られた時、「ここは旭川の名物になるでしょう」と言って下さった。この礼拝堂も、解体業者が古材を無料で運んでくれ、自分たちで建築した。このような恵まれた環境を生かして、ユース伝道に力を注いで行きたい。
2010年頃から、信徒の親の高齢化が進み、トシ子師の指導により両親への伝道に力を入れていった。その結果、信徒のほとんどの両親がイエスさまを信じていき、キリスト教式で葬式を行うことができた。
コロナの時は集うことが困難となりインターネットでつないでていった。この便利さを知って、遠く離れた信徒たちが2か所で礼拝を行っている。ユース祈祷会もインターネットで行い、一般祈祷会も病弱な方はインターネットで参加している。
2024年4月になって、隣家から土地を売りたい。購入してくれないかという話しが入って来た。面積は96坪。神居教会は、以前から駐車場と雪捨て場に困っていたので、年間計画には無かったことであるが、神さまの備えを感じこれを購入した。





