溝の口キリスト教会
通称:ウィンディチャペル
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 仁井田 義政 |
| 牧 師 | 仁井田 幸子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 神奈川県川崎市高津区下作延7-11-12 |
| 伝道開始 | 1975年4月1日 |
| 献堂履歴 | 1978年9月24日 1990年7月22日 |
| 歴代担任教師 | 仁井田 義政(1975年4月~ ) 仁井田 幸子(1975年4月~ ) 吉原 博克(2023年4月~2024年9月) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
溝の口キリスト教会は、仁井田義政と関口幸子が神学校卒業と同時に結婚し、1975年4月に、「下作延キリスト伝道所」として開拓伝道が開始された。信徒0からの自主開拓伝道であり、教団や教区から全く援助を受けない開拓伝道であった。その時の教会財産は、神学校の同級生達がお金を出し合って献げて下さった聖書10冊である。礼拝で使う聖歌集も最初はなかったのである。聖歌10冊は、私達の結婚式の御祝い金で購入し、集会が開始された。集会場所を探したが、家賃が高くてとても借りることが出来なかった。それを見かねて家内の母親が、自宅の一室を集会の度毎に使って良いと言ってくれたのである。ともかく日曜日の礼拝と日曜学校、水曜日の祈祷会が開始された。伝道も会社勤めが週6日であったので、教会案内をガリ版印刷し、日曜日の午後に最初は一人でひたすら地域に配り歩いた。一年後、近くに古い一軒家が見つかり賃貸することになった。牧師は、生活費と教会の活動費を得るために、開拓当初から鉄工場に溶接工として2年間位働いた。その後は、家内が川崎市家庭保育福祉員となって、子供達を預かって長年経済を支えてくれた。教会は一軒家に移ってから洗礼者も与えられ、三年後に第一回目の献堂を佐布正義理事長の司式により行なうことが出来た。さらに数年が過ぎ、教会は開拓十周年を迎えようとしていた。その記念に何をしたら良いかを考えたすえ、地域にインパクトを与えると思われるハンドベル聖歌隊を作ることにした。しかしその費用は、到底教会会計からは出なかった。そのためにハンドベル献金箱を会堂の後ろの壁に掲げ、誰が献げたか全くわからない献金を行なった。その結果、ハンドベルの購入費用が無記名の献金によって、全て与えられたのである。クリスマスなどは人々が入りきれないほど集まった。当時は二階が会堂だったため、床が落ちる危険がないかどうかを工務店に問い合わせたほどである。さらに信徒の人数も加えられ、次の会堂建築の準備に取り掛かった。その教会にはベルタワーを作って、そこに大きなベルをつけることを考えた。毎日三回、教会のタワーから鐘の音が流れる姿を想像したのである。タワーにつけるベルはオランダから輸入した。そして1990年に、初代総理・弓山喜代馬師の司式により、第二回目の献堂式を行なうことが出来たのである。
また2008年には、それまでの峯岸邦子宅のホームチャペル(家庭集会)を、峯岸邦子師の神学校卒業と同時に、「多摩ヒルサイドチャーチ」とし、溝の口キリスト教会直属の伝道所として伝道を開始した。
2012年には教団の直属伝道所となり、溝の口キリスト教会からの株分け伝道所となった。さらに2015年には、新会堂を得て献堂式を行ない、多摩ヒルサイドチャーチとして現在に至っている。
その後も信徒の数は加えられ続け、現在の日曜日の礼拝は、三回に分けて行なっている。溝の口キリスト教会は今年50周年を迎え、さらなる成長を目指して前進している。
地図と写真
MAP & PHOTOS





