御影神愛キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 瀬古 慎二 |
| 牧 師 | 瀬古 真理子 |
| ろう者伝道師 | 小笠原 和枝 |




教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 兵庫県神戸市東灘区御影中町1-7-15 |
| 伝道開始 | 1948年 2月 |
| 献堂履歴 | 1950年 2月16日 1960年 2月21日 1978年 5月14日 2011年 7月11日 |
| 歴代担任教師 | フローレンス・M・バイヤス (1948年2月~1976年8月) 岸部 勘次郎 (1952年4月~1958年3月) 大庭 博茂 (1958年3月~1961年3月) 鹿島 外雄 (1961年3月~1963年3月) 杉本 俊輔 (1963年4月~2011年12月) 瀬古 慎二 (2001年9月~ ) 瀬古 博子 (2010年2月~2020年9月) 瀬古 真理子(2023年4月~ ) 小笠原 和枝 (2008年3月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1948年、第二次世界大戦後再来日したフローレンス・F・バイヤス師が、沖千代師、内村誠一師、徳木力師の協力によって開拓。当初は信徒の家庭を用い、続いて養護施設「神愛子供ホーム」の一部を東灘神愛キリスト教会として用いた。しかし教会の所在が辺ぴなため、1960年伝道の拠点として、阪神電鉄御影駅前に伝道館を建設した。1963年杉本師ご夫妻が初代牧師として赴任された。しばらく礼拝を本教会、伝道館の両所で行っていたが、1971年11月21日、本教会焼失のため伝道館を教会として用い、名称も現在名に変更して今日に至っている。
1978年、教会の進展に伴い鉄骨三階建て、153坪の会堂を完成し、5月14日、献堂式を挙行した。しかし1995年1月17日、思いもよらぬ阪神淡路大震災にあい、教会は半壊、牧師館は全壊となった。教会堂は、集会の支障のない様に、多くの方々からの義援金と祈りに支えられて、早急に修復された。2年後、神は不思議な方法で隣地52坪の土地を購入させて下さった。数年に渡っては、駐車場として、また、夏祭りなどを開催して近隣の方々との交流、伝道の場として用いて来た。
その後、雨漏りなど、建物の老朽化と会堂が満席になることもあり新会堂建築を視野に「新会堂のビジョンを語る会」を2005年のイースターに開催した。その後、幾多の検討を繰り返し2010年1月に新会堂建築を決断。そして遂に翌年2011年7月18日に新会堂を献堂するに至った。同年12月末、49年間、牧師として教会を導き指導してこられた杉本俊輔師、満子師ご夫妻が勇退され、2012年1月より瀬古慎二師、博子師夫妻がその後を引き継ぐこととなった。
その後も教会は神の恵みと忠実な信徒達によって祝福され前進していくが、2020年から始まった新型コロナウイルスの感染拡大により教会活動の自粛を余儀なくされた。また、2020年9月博子師を癌のために天に送り、教会は大きな悲しみと痛みを経験することとなった。しかし、その間も教会は主を信じ、オンラインでの礼拝、交わりによって励まし合い、また福音宣教を継続して来た。そんな折り、2023年2月に慎二師と森下真理子師(三木アガペー教会)が結婚。現在、霊的新時代に向かって新しいビジョンを構築し、宣教の使命に燃えて前進している。
また教会の特質として、もう一つ取り上げておきたいことは、ろう者伝道にある。杉本師の時代に一人のろう者クリスチャンが導かれ、ろう者伝道が開始された。その後も多くのろう者の方々が導かれ、ろう者礼拝も捧げられるようになった。2008年4月には、小笠原和枝師が教団初のろう者伝道者として奉職することとなった。また、一人のろう者の兄弟が故郷の友人たちに福音を伝えたいとの情熱によって兵庫県豊岡市で伝道が開始された。それが現在の但馬伝道所となっている。
このように教会は、健聴者、ろう者の方々が共に集い、共に宣教に生きる教会とされている。
地図と写真
MAP & PHOTOS

