浜松キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 菊地 和博 |
| 牧 師 | 菊地 惠子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 静岡県浜松市中区松城町106-1(2023年12月31日まで) 静岡県浜松市中央区松城町106-1(2024年1月1日より) |
| 伝道開始 | 1933年6月7日 |
| 献堂履歴 | 1950年5月28日 1976年5月30日 |
| 歴代担任教師 | 菊地 隆之助 (1937年~1983年) 菊地 林子 (1937年~1964年) 望月 はま子[旧姓:長原] (1952年~1953年) 堀川 満也 (1954年) 北野 耕一 (1954年~1955年) 山田 福子[旧姓:八代] (1956年) 西郷 美志枝[旧姓:東] (1956年) 渡辺 喜平 (1958年) 袴田 房枝[旧姓:菊池] (1958年~1959年) 長澤 愛子[旧姓:鈴木] (1959年) 佐藤 順子[旧姓:鈴木] (1964年~1965年) 桜井 剛 (1966年) 多賀谷 登茂子 (1967年~1969年) 大村 勝治 (1970年) 菊地 惠子[旧姓:相澤] (1971年~1983年) 石原 正治 (1974年) 内村 啓子[旧姓:細川] (1975年) 小田島 幹彦 (1976年~1977年) 菊地 和博・惠子[旧姓:小坂] (1983年~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1933年6月7日、市内静岡銀行田町支店裏の空き地で、アグネス・ジュルゲンセン宣教師が天幕伝道開始。 1937年9月、菊地隆之助師が伝道師として赴任、翌年には当初よりの働きが実って16名の受洗者が起こされた。更に、市内鴨江町において1941年まで伝道が継続された。その後の太平洋戦争中4年間、菊地牧師は、聖隷保養農園(結核療養所・現聖隷三方原病院)その他で病院伝道に従事した。戦争末期の1945年軍隊に招集されたが、8月に終戦。その直後から、旧陸軍浜松飛行場跡の兵舎あるいは市内求道者宅において、開拓伝道再開。その後、1949年現在地に209坪の土地が与えられ、翌年5月、25坪の会堂が完成した。その後、教団理事、総理としての用務多忙な中にも、伝道は進展。1976年5月、3階建の新会堂が完成、献堂式を挙行した。
1982年より、菊地和博師が牧会を引き継ぎ、菊地隆之助師は浜松北部に北伝道所を開設。1984年12月北伝道所会堂完成。献堂式の次の主日より本教会と同時に礼拝が行われ、株分けにより、浜松北キリスト教会が産み出された。1995年10月、本教会堂南側の石垣改修工事が完了。駐車場が拡張された。
1970年以降、東海・北陸教区をはじめ他教区の教会へのキャラバン伝道が盛んに行われた。1984年、RR(ロイヤルレンジャー)の活動を開始、三十数年にわたって活動を継続した。また、市内の公園で青空日曜学校(公園伝道)が行われ、集まった子供の中からRRに参加するものが多数出た。1978年以降、複数の賛美バンドが結成され、礼拝やその他の集会で賛美奉仕に当たった。日系ブラジル人の増加に伴い、1991年にポルトガル語部が発足し、2009年まで活動し、受洗者も多数与えられた。牧会のかたわら、1992年から2015年まで23年間、菊地和博牧師が、CBCの講師、教授、また教団教師検定委員としても奉仕した。2018年には、惠子師が正教師として認証された。1995年阪神淡路大震災、2011年東日本大震災では、複数名のボランティアが現地に赴いた。2009年からは、礼拝、ディボーションを奨励し、各部(男性・女性・青年)での合心祈祷が始まった。2012年以降、SP(霊の親)セミナーを実施し、個人伝道について学び、祈り合った。また、各部をそれぞれ複数に分割してグループ(オープンセル)を作り、礼拝メッセージを受けて恵みを分かち合い、祈り合う時間を設け、子どもディボーションにも力を入れた。2014年には、教会のあるべき姿を示した「宣教宣言文」を作成し、信徒でその内容を共有化した。そして、現在までこの理念のもと、教会活動を続けている。また、新会堂建築献金基金を開設し、新しい会堂のビジョンに向かって一歩を踏み出した。惠子師の郷里長野県伊那では、家庭集会が継続され、現在に至っている。2015年には、伊那伝道の初穂として、受洗者が与えられた。2017年には、教会納骨堂の管理規則が作成され、この規則に基づいて墓苑管理がなされている。2019年末から始まった新型コロナの感染、パンデミックにより、2020年以降責任役員会の重要な役割の一つが新型コロナ対策になった。2020年から現在まで、礼拝はYouTube配信・対面併用になり、聖書研究祈祷会はZoomによるオンラインになったが、女性祈祷会は少人数により対面を継続している。また、教団・教区との連携のもと、対外的な宣教や奉仕活動にも継続的に協力した。2015年以降、テレビモニター設置や教会堂補修を行い、これからの伝道に備えている。戦後これまでの当教会出身の献身者は24名である。





