駿河キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 伝道師 | 中村 成美 |


教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 静岡市葵区瀬名川3-18-70 |
| 伝道開始 | 1958年4月 |
| 献堂履歴 | 1回目1972年10月10日 2回目2009年10月3日 |
| 歴代担任教師 | 渡辺 喜平(1958年3月~1959年3月) 藤川 章三(1958年10月~1959年2月) 鈴木 愛子(1959年3月~1961年10月) 渡辺 房子(1961年4月~1964年3月) 長野 久子(1962年3月~1963年3月) 生武 聰生(1964年3月~1964年11月) 本島 茂 (1964年11月~1966年5月) 小泉 智之(1966年6月~1970年2月) 小泉 智恵子(1966年6月~1970年2月) 平松 瑠美子(1970年2月~1978年3月) 木村 幸広(1978年3月~1992年3月) 木村 節子(1978年3月~1992年3月) 渡辺 喜平(1992年3月~2008年3月) 渡辺 まち(1992年3月~2008年3月) 渡辺 岳見(2008年4月~2025年3月) 中村 成美(2025年4月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
清水市(現静岡市清水区)在住のひとりの女性が聖霊のバプテスマを受けたことから駿河キリスト教会の歴史は始まる。当初、その女性は自宅を開放して福音を伝えていた。その後、浜松キリスト教会の菊地隆之助師の応援を受けるようになり、群れは次第に発展していった。そして、専任伝道師を必要とするまでに至った。
その願いに教団は応え、1958年4月に伝道師が派遣され、その群れはアッセンブリー教団の清水キリスト教会として発足した。発足から14年余りは数件の借家を移りながら伝道牧会がなされた。その間、短期間での伝道師、牧師の交代が続き困難な時でもあった。しかし、歴代伝道師、牧師の忠実な働きと信徒の献身的な奉仕、そして主の導きと支えにより教会は徐々に発展していった。
そして、会堂建築の願いが起こされた。小さな教会にとって会堂建築は大きなチャレンジであったが、教会をあげて祈りと献金がささげられた。1970年12月には静岡市瀬名川に土地が与えられた。会堂建築に際しては、当時、静岡市に在住していたパーキンス宣教師夫妻やアンカレッジ第一アッセンブリー教会の応援があり、全国諸教会からの援助があった。1972年10月10日に菊地隆之助師の司式により、喜びの内に献堂式を行った。その際、教会の所在地が清水市から静岡市に移転したことにより教会名を駿河キリスト教会と改称した。
会堂が与えられたことによって教会はさらに発展した。若い人たちが救われ、活気にあふれた。そして、教会は安定期を迎え、信徒教育に力が注がれた。また、会堂の整備も続けられ、牧師館の増築や駐車場のコンクリート打ちなどが行われた。
1999年3月、牧師が病に倒れ、教会は試練に襲われた。試練の中でも教会は祈り、一致し、信徒の献身的な奉仕もあり、主に支えられて、前進することができた。
静岡はかねてより東海地震の危険が叫ばれていた。2000年代半ばになると1972年に建てられた会堂も老朽化し、耐震性に不安が生じた。建築委員会が組織され、信徒が中心となって建て替えが検討され、祈りと献金がささげられた。建築中の礼拝等諸集会は近隣教会の協力により行うことができた。2009年10月3日に内村撒母耳師の司式により、喜びの内に2回目の献堂式を行った。
ある牧師の厚意により裾野市にある墓地を使用することが許可されていたが、遠距離であることから駿河教会独自の墓地が近くに与えられるように祈り始めた。2018年10月に教会から車で20分ほどのところに墓地が与えられた。
近年、第一世代と言える方々が召天している。教会では信仰継承、家族の救いを祈っている。また、聖霊の満たしとブレーク・スルーが与えられるように願っている。
地図と写真
MAP & PHOTOS

