アッセンブリー新潟キリスト教会
通称:新潟グレイスチャペル
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 土屋 潔 |
| 伝道師 | 土屋 康 |
| 伝道師 | 土屋 真愛 |
| ザム・ツァング |





教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 新潟県新潟市西区大学南1-27-48 |
| 伝道開始 | 1981年4月5日 |
| 献堂履歴 | 1985年12月28日 1996年5月6日 |
| 歴代担任教師 | 土屋 潔 (1981年3月~ ) 土屋 康 (1982年4月~ ) 土屋 真愛 (2017年4月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1981年3月に、土屋 潔師がCBCを卒業後直ちに新潟市での開拓に着手した(出身教会である杉田キリスト教会では、祈祷課題としていまも新潟の祝福を祈って下さっており、感謝なことである)。一年後には同校卒業した長嶺康師(大阪中央福音教会出身)と結婚して、教会ビジョン『東西南北に教会を!』を掲げながら、福音の種を蒔き続けたのである。
開拓当初から掲げた「5年で献堂、自給!」を、主の憐れみによって1985年12月には第一回目の献堂を坂井東6-6-23に果たした。この物件は中古家屋付き土地を2300万円(1680万円の競売物件、駐車台数4台可能、)で購入し、礼拝堂も二倍の広さとなった。最初の賃貸が4畳半の礼拝室で、その後転居して10畳半の礼拝室に拡がったのであるが、駐車場の問題、トイレなどの衛生問題、日照問題他の負の側面を祈りに替えて10のリストを掲げて祈った実であった。そのすべてが叶ったのであった。
その後に、『外観も教会らしい建物を主に捧げたい!』との声がやがて教会メンバー全員の声となり、五ヶ年年計画で土地探しから始める一方で、教会メンバーが希望する教会施設を全員で検討し続けた。その結果、現在地に約100坪の更地を購入し、建坪155坪の木造3階建てを奉献することができたのである(総費用約1.4億円)。
それまでの礼拝室から礼拝堂となった。
さらに、主にある新しい景色を見ることを教会メンバーは願って、新会堂建築委員会(ヒラムプロジェクト)を7年前から設けて、返済完了していない中で、毎月情報収集報告、教会メンバーへの広報等を進めている。
さて新しい景色であるが、私たちペンテコステの群れに属するものとして教会メンバーが認識していることは-①花婿キリストが花嫁としての教会を迎えに来られる時代に立っている。②この時に大いなるリバイバルがキリスト者には霊的覚醒が、未信者には救いとして臨むことを期待し求めていく。③教会は祈りの家として回復・堅持する。そのために「A-Net247」という祈りの統括部門を2015年に新設し、CBC卒業の専従スタッフを複数名置いている。教会メンバーが祈りに来やすくするための祈りのテーマ、並びに7日間の祈りのスケジューリング等を図っている。ちなみに、「A」には、Asia、All-nations、AGの意味がある。
具体的には、絶えまない賛美と祈りを捧げるように努めていて、一人でのディボーション並びに複数者による小礼拝など展開している。また、そのために暗証番号で教会扉は開けられていつでも祈りに来れるよう配している。
『わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。 -イザヤ 56:7 新改訳改訂第3版-』
現在は、これらをコンセプトとした新会堂を願っている。
24時間365日絶えなる祈りが捧げられ、かつ地境(じざかい)を越えたとりなしの炎を燃やし続けていけるとりなし礼拝堂、共に礼拝(300人)を捧げ、かつ共に愛餐ができる礼拝堂とラウンジを併せ持つ教会を立て上げることと、衛星(ブランチ)教会を持つことで未伝地域が多い同県から国内外に向けて使徒1:8の実を成していきたい。
地図と写真
MAP & PHOTOS


