結城基督教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 林 由佳 |


教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 茨城県結城市結城160 |
| 伝道開始 | 1946年 7月 |
| 献堂履歴 | 1947年12月10日 1975年 9月 |
| 歴代担任教師 | 長島 ツル (1946年7月〜1992年3月) 渡辺 喜平 (1976年3月〜1992年3月) 渡辺 まち (1976年3月〜1992年3月) 秋本 幸二 (1993年4月〜1997年3月) 秋本 芙久恵 (1993年4月〜1997年3月) 佐藤 茂助 (1997年4月〜2020年3月) 佐藤 眞知子 (1997年4月〜2020年3月) 林 由佳 (2020年4月〜 ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
歴史ある台地には旧石器時代から人々の生活した痕跡があり、奈良・天平時代には綿や麻を意味する「ゆうき」と呼ばれ、鎌倉時代には結城家歴代の城下町、関ヶ原以後は幕府の直轄地となり、比較的自由な商業活動ができ,水運の良さから北関東の要衝として発展した地方都市である。古より結城紬の特産地として知らない者はいないだろう。また結城キリスト教会のある結城市北部の神社密度は県第一位、京都よりも狭い範囲内に28の寺と77の神社があり、この宣教の拠点を取り囲んでいる。
関東大震災より以前、モーアというアメリカ人宣教師夫妻が鬼怒川沿いの各地を伝道し、茨城県西にも福音の種が撒かれた。この農村で救われた魂は、長い間無牧のままで放置され、昭和6年、東京宮仲教会から、女性伝道者の長島ツル師が茨城の地で農村伝道に従事することになった。関城町出身の信徒宅を集会の拠点に家庭集会を導き、農村の少女たちに和裁などを教えたりしながら夜に集会を持つという天幕伝道がなされていた。当時は集会をしているとその場所の通りを歩く人々でさえ、何のことか分からぬまま導き入れられ、聖霊に満たされ、癒され、次々と救われる魂が起こされたという。
終戦後、関城キリスト教会初代牧師長島ツル師に、聖霊に燃やされた一人の戦争未亡人が結城で家庭集会をしてほしいと申し出た。このことをきっかけに中根姉宅(故白石亨子師宅)での家庭集会が始まった。これがのちの結城基督教会の土台となった。
次の年には献金により150坪の土地、建物を購入し、借入金も間も無く全額返済するという徹底した信徒たちの信仰の勢いにより、1952年には宗教法人登記に至る。
1968年、祈りは聖霊によってさらに勢いを増し、県知事の許可を得ると関城町舟玉に納骨堂を取得、建設した。1975年、長島ツル師は入院していたが、信徒たちは立ち上がり、旧会堂に隣接して新会堂を建設する。まさに聖霊による教会の一致と前進である。
1976年、渡辺喜平師、まち師が岡崎より赴任し、病床に臥せる長島師を支える。1993年長島ツル師が天に召された後は、無牧の期間を経て、宇都宮栄光キリスト教会と兼任し、秋本幸二師、芙久江師が引き継いだ。
1997年、秋田より佐藤茂助師、眞知子師が着任し、長きにわたる実直な伝道牧会を導いた。2020年コロナ禍で佐藤茂助師は引退し、後任として林由佳伝道師(天野弘昌主管牧師)が遣わされ現在に至る。
結城の家庭集会に自宅を開放した白石享子師(旧姓中根)は、長島師が結城に来られてすぐ献身し、1961年白石禎男師(品川ベテルキリスト教会)と結婚するまで長島師を支え続けた。歴代の副牧師は、津村栄師、渡辺まち師、前田実隆師、田中久美子師、奥野早苗師、新井邦江師で、渡辺喜平師以後、副牧師はいない状況が続いている。このほかに、渡辺まち師、新井龍三師と直接献身した以外にも多くの関係する献身者を生み出した。秋本幸二師(宇都宮栄光)、神戸真理子師(関城)、さらに次の世代として、白石信之師(品川)、渡辺岳見師(駿河)、横山唯一師(志村)、横山あかり師(東松島)である。
戦前戦後を通して、宣教師の開拓の歩みはまず関城に教会を生み出した。そして関城から結城へ、そして水戸伝道所(2023年3月閉所)へと拡大していった。現在、安定した教会形成がなされたが、コロナ期を超えて教会学校の出席者が全くいなくなってしまい、今後の信仰継承が祈りの課題である。また高齢となりつつある信徒への信仰的支援の必要と、地域との連携に加え「結城から世界へ」の扉が少しづつ開かれてゆくようにと願っている。
地図と写真
MAP & PHOTOS


