市川キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 下道 恵 |
| 牧 師 | 下道 敬子 |



教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 千葉県市川市市川1-17-20 |
| 伝道開始 | 1954年10月 |
| 献堂履歴 | 1960年4月 |
| 歴代担任教師 | T・ウェングラー (1954年〜1958年) 伊藤 綾子 (1954年) 青木 三徳 (1957年3月〜2011年3月) 青木 貞子 (1960年5月〜2011年3月) 下道 敬子[旧姓:田村] (2011年5月〜 ) 下道 恵 (2017年4月〜 ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
<ウエングラー師による最初期>
ウエングラー師は、アメリカアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団公認の最初の日本宣教師として1919年に来日。八王子・甲府両教会を設立。
1954年秋頃、67歳の高齢にも拘わらず、伝道の地を祈り求め千葉県市川市に導かれる。同年、伝道師として伊藤綾子師が、そして神学生たちの協力を得て、市川市内中心部にある幼稚園を借りて伝道を開始。青木三徳師が赴任する1958年までの4年間を同幼稚園にて、さらにその後、1960年の会堂建築まで、信徒の家やアパートを借りて、積極的に伝道活動が行われた。
なおT・ウエングラー師は4年後の1958年3月22日、約44年間の日本における主の働きを全うされ、軽井沢にある宣教師墓地に葬られた。
<青木師による中期>
1957年3月に青木三徳師が教団から派遣され赴任。1960年に現在地である千葉県市川市市川1-17-20に土地が与えられ、新礼拝堂が献堂された。同路傍伝道・特別伝道会を開き、多くの青年達が救われ、多くの聖霊のバプテスマを受けるものが起こされた。教勢は進展し、自給教会となる。また4名の献身者が起こされる。
1983年には、会堂の増改築がなされ、地域に根ざした伝道が進められていく。 青木師は2010年ごろに体調を崩され入院するまでの半世紀に渡り、貞子師と共に市川の教会を伝道、牧会する。
<下道師による現在>
2011年、東日本大震災(3月11日)直後の5月に、田村敬子師(現:下道敬子)が東京の神召教会から転任する。
2013年3月10日、当時JTJ宣教神学校の神学生であった下道恵神学生と結婚。恵兄は同神学校卒業後に当教団の補教師試験を受け、2017年4月、補教師として教団に加盟。さらに2020年8月には正教師としての按手礼式、翌2021年4月、市川キリスト教会主管者として任命される。
2015年7月に教会1階部分をリフォーム。カフェスペースに近所の乳幼児連れのママさんたちが導かれ、憩いの場となる。 乳幼児、学生、求道者、受洗者、受霊者数、全て0の年がしばらく続いていたが、年に一度のキッズクリスマスには多くのお子さんと親御さんが導かれていた。
2021年5月、およそ10年ぶりに病床であったが待望の受洗者が与えられ、天国へ送り出すことが出来た。
2024年現在、恵師の音楽活動を通して導かれたラッパーやDJ、ビートメイカーと共に、年に2回ほどHip-hopのイベントが行われている他、DJ集団Playing the WorldなどがPV撮影や、Tiktokの生配信をしたりと、今まで教会とは無縁だった方々に開かれた教会となっている。
また平日には地方に住むラッパーの若者たちが教会に泊まりに来たり、さまざまな事情を抱えた中学生たちが導かれている。
<これからの展望>
時代の変化に伴い、変えなくてはいけないところと、絶対に変えてはいけないところの線引きをしっかりしていきたい。
具体的にハード面においては、Hip-hopやRockのイベントを開催出来るだけの防音設備を備えた礼拝堂、若者たちにとって、居心地が良いオシャレなチルスペースを祈り求めていきたい。
ソフト面においては、クラシカルペンテコステの信仰を大切にし、流行りのムーブメントや似て非なる教えに気を付けると共に、従来の「教会とはこうあるべきだ」という固定概念に固執せず、神がこの教会に望むスタイル、そして時代の流れに即した教会の在り方を祈り求め、柔軟に対応していきたい。
地図と写真
MAP & PHOTOS




