横須賀キリスト教会
教会の教師
CHURCH STAFF
| 牧 師 | 柿崎 光一 |
| 伝道師 | 柿崎 幸子 |
| 伝道師 | 柿崎 正枝 |




教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 神奈川県横須賀市根岸町4-39-7 |
| 伝道開始 | 1964年8月19日 |
| 献堂履歴 | 1979年4月15日 1994年11月13日 |
| 歴代担任教師 | 池原 信徳(1965年3月〜1970年3月) 池原 厚子(1967年4月〜1970年3月) 田中 義信(1970年4月〜1973年3月) 田中 久美子(1970年4月〜1973年3月) 柿崎 昭司(1973年3月〜2016年11月) 柿崎 正枝(1973年3月〜 ) 柿崎 光一(2004年3月〜 ) 柿崎 幸子(2004年3月〜 ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
1964年に中央聖書学校3年生であった池原信徳師が、母教会の金沢キリスト教会の支援を受けながら横須賀の地を見て廻ったことが開拓伝道の始まりである。
翌年1965年に池原師が神学校を卒業と同時に横須賀派遣となり、教会が正式に発足する。最初の4〜5年は後輩神学生の助けと共に神社の集会所や町内会館を借りて礼拝を行なっていた。また池原師は子ども伝道にも力を入れ、教会学校に多い時には50名ほどの子どもが参加していた。
1967年4月、池原信徳師、厚子師が結婚、同年10月に3名の方が救われ、教会初の洗礼式が行われる。
1969年3月、平屋建ての物件を借りて伝道拠点を移す。当時は教団からの補助はあったが経済的には苦しく、家賃の支払いのために池原師夫妻はアルバイトをしながら伝道生活を続けた。1970年4月に沖縄へ転任となった池原師夫妻の後任として、田中義信師、久美子師夫妻が着任される。
さらに1973年3月に柿崎昭司師、正枝師夫妻にバトンが引き継がれるが、その数年後、教会としていた借家の大家より、建て替えのために立ち退きを要求される。このことについて柿崎師は「これは神様が雲の柱を動かそうとしておられるのだ」と示され、新しい会堂のために4つの条件を挙げて祈り始める。
1.駅から徒歩10分以内
2.人通りのある場所
3.公園がすぐ近くにある
4.現在の教会の経済力で無理をしないで買える土地と建物
数ヶ月後、祈った全ての条件を主は叶えてくださり、駅から徒歩8分、小学生や家族連れが多く賑わう公園前の土地付き中古住宅が与えられ、1979年4月に初めての献堂式が行われた。
それから礼拝出席者が増え会堂が手狭となった1993年に新会堂の建築が始まり、翌年1994年11月に地上4階建ての新会堂を献堂する。開拓が始まり30年目のことであった。
更に3年後の1997年、教会のビジョンであった納骨堂を三浦市の公園墓地に献堂。
2004年柿崎光一師、幸子師夫妻が協働牧会者として加えられ、主に青年と子ども伝道が進むようになる。救われた子どもたちはキッズチャーチの奉仕者へと成長し、さらなる幼い魂の獲得のために励んでいる。
2016年、横須賀の地で43年間牧会伝道に励まれた柿崎昭司師が病のために召天され、教会にとって大きな試練の時を過ごすこととなる。
現在、主の憐れみによって、柿崎光一師、幸子師、正枝師のリーダーシップのもと、信徒一人一人が主の忠実なしもべとして成長できるように、また駐車場として借りている約200坪の隣接地に新会堂を建て上げるというビジョンに向かって、教会一丸となって歩み続けている。
地図と写真
MAP & PHOTOS

