鹿児島神愛教会
教会の概要
CHURCH PROFILE
| 所在地 | 鹿児島県鹿児島市小松原1-69-21(1990年7月~2006年1月) 鹿児島県鹿児島市南郡元町20-19(2006年1月~ ) |
| 伝道開始 | 1990年7月12日 |
| 献堂履歴 | 2006年11月3日 |
| 歴代担任教師 | 田中 恵理弥 (1990年3月~1992年1月) 田中 光枝 (1992年1月~1992年1月) 篠塚 公美[旧姓:稲村] (1992年3月~ ) 篠塚 俊男 (1996年3月~ ) |
| 備考 |
教会の沿革
CHURCH HISTORY
九州教区では、九州各県に教会を建てたいという切なる願いの中に、鹿児島が示され、また、教団の長期計画「アッセンブリー1999」においても、開拓伝道推進計画の候補地の一つに鹿児島があげられていた。このように、鹿児島神愛伝導所は、教団、教区協力型として伝道が始められた。
まず、場所の設定に当たり、鹿児島開拓委員として坂本克明師・長澤忠雄師・高口喜美男師がこの任に当たり、調査が行われ、市内の南部地区に一軒家を借りて伝道が開始された。鹿児島市の人口は55万人(当時)で、南部地区は教会も少なく、発展の可能性を秘めている地域であり、鹿児島神愛伝道所のまわりは、ラサール学園、公園、住宅に囲まれた静かで落ち着いた町並みであった。
90年7月に田中恵理弥師・光枝師が着任し、鹿児島在住、川尻キリスト教会と熊本聖書教会の教会員、2姉妹と共に伝道が開始された。
92年4月、田中師夫妻の転任に伴い、後任として稲村公美師(現 篠塚)が着任し、礼拝、祈祷会、聖書研究会、教会学校等の働きを引き継いだ。
95年3月、稲村師は、篠塚俊男師と結婚した。96年3月、篠塚俊男師の教団加入に伴い、同師が担任教師となり、その後、紆余曲折しながら神様のご計画を求めて歩み続けている。
2006年1月、不思議な神様の方法で、JR・市電の南鹿児島駅前の4階建てのビルに移転することができた。地域には中学校、小学校、保育園だけではなく、私立大学、中高一貫校がある。当時12名の教会員だった。ビジョンに燃えて一致協力し、新しい場所での伝道の働きが始まった。その年に伝道所から教会となり、11月には献堂式を行うことができた。各部屋を有効利用するため、その方法を考えていた時、英会話教室、合唱グループなど未信者に教会を利用していただいた。
特に2007年から5年間は、イギリス、オーストラリア、アメリカから4家族の英会話教師を招いて英会話教室を行うことができた。ゴスペルグループやクラシックグループにも会堂を提供した。さらに、鹿児島県社会福祉事業団の一施設に無償で事務所を使ってもらうことができた。また、超教派の働きとして、賛美集会等にも会場を使っていただいた。
コロナ禍を経て、地域との話し合いを重ね、検討重ねた結果、月に1度、子ども食堂を行うことになった。教会と地域ボランティアが協力して、ニーズのある人々だけではく、地域の方々に喜んでいただいている。
開拓伝道から33年が経過しようとしているが、鹿児島神愛教会は、次の世代に向けて牧師の意識改革、教会の体質改善、持続的に成長する「構造改革」に取り組み、福音に生き、歩み、神様の力強い御手の中で、神様のご計画を着実に実行できるように、祈り備えて進んでいる。
地図と写真
MAP & PHOTOS




